2024年2月28日水曜日

不登校を考える

 エリーです。今回は不登校について考えてみました。現在、不登校の児童生徒数は約30万人となり、過去最多となったそうです。私のいとこの娘さんと息子さんも2人とも不登校でした。なぜこんなにも不登校の児童生徒数が増えてしまったのでしょうか。

 

 今考えると、私は高校時代が一番辛かったです。高校は授業の進むスピードが速くて、授業についていこうと思ったら学校の勉強しかできなくなります。私自身はもっと色々な本が読みたかったので、学校の勉強だけに縛られる生活がきつかったのです。


 高校では、修学旅行で制服のネクタイを忘れただけで反省文を書かされた人がいました。制服のない国もあることを考えると、日本の学校はちょっと厳しいと思います。学校生活は窮屈なのです。私は学校に行かなくなる児童生徒が出ても当然だと思っています。


 不登校が増える要因の一つに詰め込み教育があると思います。私は体育や図画工作が苦手で、どちらかと言うと勉強の方が好きでしたが、中学校や高校で暗記が多いのは辛かったです。知識だけ詰め込んでもテストが終わると覚えたことを忘れてしまうと思います。でも、自分で好きな本を読んで得られる知識は忘れにくいものです。ですので、暗記だけでなく図書館などで本を読んで調べる学習があっても良いと思います。

 また、日本の教育では子どもが主体性を失って、受け身になってしまうという意見もありますので、自分で疑問に思ったことを調べて発表する場などがたまにあっても良いかもしれません。


 あと、学校の勉強についていけなくても授業は先に進んでしまいます。ついていける子は良いですが、ついていけない子はその時間辛いですし、結局何も身に付かないで終わってしまう子もいると思います。そうすると時間の無駄にもなります。


 私の場合は、高校2年に進級する時点で進路が決まっていなくて理系を選択しました。でも、数学の授業の進度に全然ついていけなくてテストで良い成績が取れませんでした。数列や微分積分でつまずいたのです。できないことを数学の先生に批判されるので、それも辛かったです。塾に通うことも考えましたが、学校の宿題や復習で精一杯なので通っている時間もありません。


 高校2年の頃は夜の11時くらいまで学校の復習などをやって、11時から12時までは与謝野晶子訳の「源氏物語」を読む時間と決めていました。高校2年生の終わりになって「源氏物語が面白かったから短大の国文科に行こう」と思い、次の学年で文系を選びました。文系の方が私には向いていました。数学の授業が理解できなくて数学は捨てたことになってしまいましたが、高校で教わる内容は専門的なので皆が知っている必要はなさそうな気がしますし、他の興味のあることを勉強した方が有意義な場合もあると思います。


 また、いじめで不登校になる児童生徒もいます。アメリカはホームスクーリングの制度があって、親や家庭教師に家で勉強を教わることができるようです。日本でもホームスクーリングの制度を作って、いじめなどで学校に行くことができない児童生徒を勉強させた方が良いと思います。

 ホームスクーリングだと親の負担が増すという欠点はありますが、自分のペースで勉強を進めることができますので落ちこぼれが少なくなりますし、好きな時間に好きな勉強ができて勉強の効率もアップしそうです。

 発明王トーマス・エジソンや、歴代14名ものアメリカ大統領が学校に行かずホームスクーリングだったそうです。


 また、「早生まれだと学校の勉強についていくのが大変」という意見もあります。成長に合わせて入学できる制度もあった方が良いかも知れません。


 あと、学校だとなかなか融通がきかない面があると思います。

 例えば、「アレクサンダー・ガジェヴさんのピアノ・リサイタル」のブログ(https://tomonikai-shane.blogspot.com/2023/11/blog-post.html)にも書きましたが、その時の気分で演奏曲の順番を変えるようなことは学校ではなかなかできません。この場合、無理やり演奏曲順に演奏させようとすると、その人の個性を潰すことになってしまいます。芸術家はインスピレーションが湧いた時に演奏できるのが一番良いので、黙って見守ることも時には必要になります。

 日本の学校はみんな同じことをしなければなりません。こんな風に学校にもその時の気分というものが存在しても良いのかも知れないのです。


 オランダではどの科目をどの曜日に勉強するかを自分で決めることができ、学習内容も自分の興味や理解の度合いに合わせて学ぶことができるそうです。

 日本では希望する大学に行けないと好きな勉強ができないため、本当に学びたいことが学べないで終わる人がいっぱいいます。

 また、自由で選択科目が多い短大時代は楽しかったです。日本でも早いうちから科目を選択できるようにした方が良いと思います。選択科目だとどうしても得意な教科と苦手な教科で差ができてしまうと思いますが、みんなで足りないところを補い合って助け合う社会を作れば良いのです。


 本来、その時間何をするかは自分の決めることであって、他人の決めることではありません。他人が決めてしまうとその人の人生ではなくなってしまうのです。自分でその時間何をするのか考える時間がないと、他人に流されて生きるだけの人間になってしまいます。


 学校にはいろんな子がいるので難しい問題です。その子によっては、学校の偏差値ばかりを気にするより手に職をつけた方が就職できる場合もあるはずです。行って楽しい学校にするにはどうすれば良いのか、みんなで考えていく必要があるのではないでしょうか。